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徳川忠義の武将、鳥居元忠の魅力。

最新水揚げ情報を見ようと思って訪れた人へ…。
趣味の記事を書いちゃってます。ゴメンなさい(^^;)
戦国武将と城が好きだから「センゴク」とも呼ばれております、香住柴山港近くの水産加工屋の店長「今西康喜」です。

城の魅力については、以前の記事↓を見てくだいね。
城の面白さを解説。そして、地域活性化の拠点へ。

9月は運動会や敬老会等の地域イベントが開催されております。
敬老会は、もともと9月15日でしたね。

祝日として成立したのが戦後なので、成人式と違い満月は関係ないです。
現代ではハッピーマンデーで、9月の第3週月曜日が「敬老の日」の祝日になってます。

さて、9月15日といえば…。
日本史の大イベント、「関ケ原の合戦」の日ですね!

そこで、関ケ原の戦いで活躍した戦国武将を紹介ではなく…。
関ケ原合戦2か月前の「伏見城の戦い」で活躍した「鳥居元忠」の魅力について今西目線で解説します。

NHK大河ドラマ「どうする家康」では、音尾琢真さんが演じております。

浜松城にて、上田城攻めで真田昌幸に惨敗した事を報告している鳥居元忠(音尾琢真

NHKどうする家康 第33回「裏切者」(8月27日放映)
史実では、石川数正が出奔するまで戦いが続いているので、鳥居元忠が浜松城にいないと思いますが…。
音尾琢真さんが真面目な律義者として熱演しております。

大河ドラマで、今川家での人質時代から鳥居元忠(彦右衛門)が登場しているのは珍しいと思います。

そもそも鳥居家は松平家の重臣で、父は鳥居忠吉。
「どうする家康」では、イッセー尾形さんが演じていたインパクトのある老将。
松平家復興を願って、今川勢にバレないように蓄財しておりました。

鳥居元忠は忠吉の三男で天文8年(1539年)生まれ。
家康の3歳年上で年齢が近かったので、今川家の人質時代から側近として仕えていたようです。

今川時代に家康が元服して今川義元から「元」の字を与えられて(偏諱)、松平竹千代から松平元信になりました。
この頃に、鳥居元忠も「元」を与えられて、幼名から元忠になったみたいです。
ちなみに、家康は松平元信から元康に改名し、今川家から独立した後に「徳川家康」になります。
鳥居元忠は今川家から独立後も律儀に「元忠」を名乗り続けます。

長兄が1547年に戦死し、次兄は出家していたので、元亀3年(1572年)に父である鳥居忠吉が死去した時に鳥居家の家督を継ぎます。
同年の三方ヶ原の戦いに当主として参戦。
その後の、諏訪原城(牧野城)合戦で銃弾を足に受けて、歩行に多少の障害を残してしまいます。
(ドラマ等ではスルーでしたが、山本勘助みたいな歩き方かな)
その傷のせいか、あまり最前線では戦わず、地味な活躍が続きます。

戦国シュミュレーションゲーム「信長の野望」でも地味な存在です。
「信長の野望」の魅力(戦国武将と城が好きになった理由)

守将として活躍してもらいました!

さて、織田信長が本能寺で討たれた後の天正10年(1582年)
徳川家が新たに領有した甲斐国に北条勢が侵攻!
攻め来る北条軍の1万を、なんと!2千で応戦し撃退!!
(黒駒合戦)
この武功で甲斐国都留郡を与えられ、岩殿城に入り、やがて谷村城主となります。
北条氏との国境を守る、重要な領地です。

でも、天正13年(1585年)に離反した北信濃上田城の真田昌幸を大久保忠世・平岩親吉と共に攻めたが失敗。
(第一次上田合戦)
真田家(真田昌幸)の能力が優れていたのと、甲斐・信濃の新規家臣を活用できなかったか?
とりあえず、石川数正が秀吉に出奔したので、撤退!
そして、徳川家と真田家は豊臣秀吉の臣下となります。

鳥居元忠の正室は家康の親戚である松平家広の娘。
鳥居康忠・忠政・成次の三人の男子と女子を産んでいますが正室は早世。

後妻として、馬場信春(信房)の娘を迎えております。
「どうする家康」では女忍者「千代」となってますが、ドラマの創作でしょう(笑)
「千代」みたいに暗躍してなくても、情報収集能力はあったかも。
武勇や築城で優秀な馬場信春の娘を迎えることで、旧武田家臣を登用したり忠誠を上げる目的だと思います。
ちなみに、馬場信春の娘は真田昌幸の弟「真田信尹」にも嫁いでいるので、真田家との連絡も考慮しているかも。
「どうする家康」では信尹の事は説明がなかったですが、本多忠勝が娘の「稲」を真田家に嫁がせる縁談に女忍者「千代」の策略だと疑って鳥居元忠と喧嘩してました。
戦国時代の最強武将、本多忠勝の魅力。

​NHK大河ドラマ「真田丸」ではでは本多忠勝を「藤岡弘、」さんが娘を心配する親バカっぷりで、同じく笑いを誘っていましたね。
NHK真田丸
ちなみに、鳥居元忠は「大堀こういち」さんが、上田合戦のやられキャラとして演じておりました。

鳥居元忠の再婚は、真田の謀略か?家康の密命か?それとも恋か?
私は旧武田領だった甲斐国を安定支配する為の政略婚姻だと思います。
馬場信春の娘との間にも鳥居忠勝・忠頼・忠昌の三人の男子と女子を産んでいるので夫婦関係も良好かと。

ちなみに、鳥居忠勝の娘は赤穂藩筆頭家老・大石良欽に嫁ぎ、その孫が大石良雄!!
忠臣蔵で有名な大石内蔵助です!
鳥居元忠の律儀で忠義の遺伝子は受け継がれました。

さて、天正18年(1590年)の北条氏攻め(小田原征伐)で鳥居元忠は、岩槻城攻めに参戦!
徳川家の関東移封後は、下総国矢作4万石を与えられ、矢作城主となります。

そして時は流れて、慶長5年(1600年)徳川家康率いる諸将が、会津の上杉景勝討伐!
豊臣政権で家康が全国政治の拠点としていた伏見城の主将に鳥居元忠が任命された。
徳川家に親しい軍勢は関西に少数となり、怪しい噂の石田三成や毛利輝元が挙兵すれば、孤立してしまう状況である。
反家康勢力からすれば、第一攻撃目標となるであろう。

伏見城の出発前夜、家康や重臣と鳥居元忠がが酒を酌み交わす。
家康「この伏見城をたった1800で守るは至難の業…。」
そこへ間髪入れず語りかける鳥居元忠。
「その議は御懸念、御無用!」
家康「なんと!」
元忠「今は会津へ一兵でも多くお供させる事が肝要に御座りまする。我らは何があろうとも、この伏見城を死守いたしまする!」
…しばらく皆が沈黙。
反家康勢力が挙兵すれば、伏見城は攻撃されるであろう。
降参・和議をしないであろう律義者の元忠は討ち死に覚悟である。
家康「頼むぞ、元忠!」
元忠「ははっ!」
家康「おもえば、そちの父も長きにわたって、岡崎城を守ってくれた。親子二代の忠義、改めて礼を申さねばならぬ。」

家康は目を潤ませながら、元忠の手を握る。
元忠は自分の目に手を当てて涙を隠す。
元忠「…もったいなや…。」

人質時代から苦楽を共にし、各地を共に転戦した傷だらけの老将!
家康「…もう一献。」
盃を飲みほし、元忠に渡す。
元忠「ははっ!」
本多正信が酒を注ぎ、皆で改めて酌み交わした。
一同、目を潤ませながら…。
これが今生の別れとなるかもしれないと。

NHK大河ドラマ「葵~徳川三代~」感動の名場面でしたね。
このドラマのキャストは、鳥居元忠(笹野高史)・徳川家康(津川雅彦)・本多正信(神山繁)・本多忠勝(宍戸錠)・井伊直政(勝野洋)でした。

今年の「どうする家康」での伏線回収、感動の場面を楽しみにしております!

さて、徳川連合軍が下野国(栃木県)を移動中に、石田三成が挙兵!
西国の大名が加わり4万の大軍が伏見城を包囲、攻撃してきた!

島津義弘と小早川秀秋が伏見城に徳川援軍として加わろうとしたが、鳥居元忠に入城を拒否されたという説がありますが…。
そもそも、味方か確定でいない軍勢を城内に入れて、劣勢になった時に裏切られては困る。
討ち死に覚悟でもないだろうし。
関ケ原戦い後の島津家・小早川家存続が目的でのアピールかと思います。
鳥居元忠に拒まれて、しかたなく西軍として伏見城を攻めたと。

攻める約4万の大軍に対して、伏見城守兵は大坂城を追い出された徳川勢500を加えて2300ほど。
かなりの兵力差があったものの、約13日も防衛。
伏見城の防御力と城兵士気の高さ、それに対し西軍の士気の低さが長引いた原因かと。

善戦むなしく鳥居元忠&守備兵は城と共に全滅し玉砕しました。
(西軍士気を高める為の見せしめかも…)

関ケ原の戦いに勝利した家康は、鳥居元忠達の犠牲を悲しみ、伏見城に残された血染め畳は江戸城の伏見櫓の階上におかれた。
徳川家の忠臣として「武士の鑑」と語り継がれ、畳は明治維新まで置かれ続けたそうです。
江戸時代は徳川家への忠義が重要視されたので。

徳川将軍家から政権が変った後も、特に戦時中は降伏・投降せずに戦って玉砕した伏見城の戦いを、美談として伝えられました。

伏見城の床板は「血天井」として京都市の養源院をはじめ宝泉院・正伝寺・源光庵・瑞雲院、宇治市の興聖寺に今も残っているみたいです。

鳥居元忠の墓所は京都市左京区の百万遍知恩寺のほか、福島県いわき市平の長源寺。

最後まで命を懸けて戦った鳥居元忠ですが、家康公と同じく戦がない平和な世を目指していたと思います。
当時の苦労を考えれば、我々の不安や悩みなんて、ちっぽけなものですね。
先人達の成功や失敗から学び、将来の幸せに繋げましょう♪
そして、将来の平和を願って。
「厭離浄土欣求穢土」(おんりえどごんぐうじょうど)

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熱く戦った鳥居元忠。

これから涼しい季節になりますが、カニは争わず仲良くつついて、心身ともに温まりましょう♪

香住ガニ」等をネット販売しておりますので、いつでもよろしくお願いします。
ちなみに「柴山ガニ」は11月6日解禁です。

今西食品ネット通販
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もちろん電話やFAX、店頭でも販売いたしております。

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さて、令和5年9月16日(土)は香住西港で「香住ガニまつり」
香美町とと活隊で「サザエ釣り」のブース出店をいたしました。

衆議院議員の「谷公一」氏(前国家公安委員長)もご来店♪
香美町とと活隊FBより
忙しい中ご来場の皆様、ありがとうございました。
サザエが途中で終わってしまい、申し訳ございませんでした。
来年もよろしくお願いいたします。

さて私と和田耕治隊員(柴山地区公民館長)は、香美町とと活隊のブースを早退し地元に戻り「上計敬老会」へ。
地元の先輩たちを敬う行事で、上計評議員としてお手伝い。
近年はコロナで中止でしたが、今年は久しぶりに開催!
小学6年生・中学生3年生・上計青年会がダンスやゲームで賑やかでした。

今回は特別ゲストとして、アマチュア落語家に来ていただきました♪

軽快で熟練な落語家「春歌亭丹馬」さん。

そして、弟子の「春乃そよかぜ」さん。

歌が上手で、落語も面白かったです。
遠路ありがとうございました!

会場の皆様も、一緒に歌ったり笑ったり、とても楽しい敬老会でした。
来年も皆様お元気で、また敬老会に集まりましょうね~♪

今回のブログはマニアックな内容、えらい長文になってしまいました…。

m(__)m 最後まで律儀に読んでいただいた皆様、ありがとうございました。

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